堂崎天主堂

2007年1月、堂崎天主堂は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する教会の1つとしてユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決定しました。長く厳しい弾圧を絶え抜いた五島キリシタン受難と、勝利のシンボルであり、「信仰の証」とされる堂崎天主堂についてご紹介します。

堂崎天主堂

【写真:堂崎天主堂】

概要と歴史

堂崎天主堂「自由と愛の使者」マルマン神父とペルー神父と子どもたち

【写真:「自由と愛の使者」マルマン神父とペルー神父と子どもたち】

堂崎天主堂(1908年)/五島市奥浦町堂崎 
日本二十六聖人の一人である、五島出身の聖ヨハネ五島を記念して建立、献堂
煉瓦造平屋 リブ・ヴォールト天井
設計:ペルー神父 竣工:野原与吉、鉄川与助
長崎県有形文化財(1974年4月9日)
2007年1月ユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する教会の1つ。


長崎におけるキリスト教の歴史は、1550年8月、聖フランシスコ・ザビエルの平戸上陸から始まりました。それは日本におけるキリスト教のはじまりでもあります。日本最初のキリシタン大名である大村純忠によりイエズス会に寄進された長崎は、日本におけるキリスト教布教の中心となり、多くの教会や関連施設が建てられ、南蛮貿易の中心地としてキリシタン文化が花開きました。その繁栄ぶりは、当時の記録に「日本における小ローマ」として記されています。五島にはじめてキリスト教が伝わったのは1566年、五島藩主宇久純定に招かれてポルトガル人アルメイダ修道士が福江奥浦に来たことに始まります。しかし、全国統一を目指す豊臣秀吉は、「伴天連(ばてれん)追放令」を発して長崎を直接支配し、1597年には宣教師やキリシタン26人を処刑(二十六聖人殉教事件)、これに続く徳川幕府も1614年に禁教令を発し、キリスト教弾圧が本格化しました。信徒たちは厳しい弾圧を受けながらも、教会もなく神父もいないなかで、地下組織をつくり、潜伏してキリスト教の信仰を守り続けていました。その後、五島藩が大村藩に領地開墾のため農民の移住を要請した際、大村藩外海の迫害を逃れるため潜伏キリシタンは五島に移住しました。

堂崎天主堂は、キリシタン禁止令から270年を経た1879年(キリシタン禁教令廃止後)、五島キリシタン復活の拠点として奥浦湾沿い、アルメイダ修道士ゆかりの地に建てられました。パリ外国宣教会マルマン師によって、堂崎に仮聖堂が建立され、ここを弾圧後の五島における宣教活動の拠点としました。後任のペルー師によって建て替え工事が行われ、1908年5月10日、現在の赤レンガ、ゴシック様式の天主堂が完成し、日本二十六聖人に捧げられました。堂崎天主堂は、五島各地に小教区制度が整うまで、五島キリシタン復活の拠点として、まさに五島における小ヴァチカン的な役割を果たしてきました。堂崎天主堂は長く厳しい弾圧を絶え抜いた五島キリシタン受難と勝利のシンボルでありまた、宣教再開と同時に始まった児童福祉施設(現:奥浦慈恵院)とその事業母体となった女部屋(現:お告げのマリア会奥浦修道院)発祥の地となりました。

建築

堂崎天主堂

こうした歴史を経て建てられた教会は、九州の北西部に濃密な分布を示し、特に長崎県内には現在でも130以上の教会が点在しています。それらの教会の多くは潜伏して信仰を継承してきた地区などに、外国人神父の指導のもと、日本人大工と信徒が自らの財力と労力を捧げて造ったものです。
五島で初めて建てられた教会、堂崎天主堂は、パリ外国宣教会からやってきた、ペルー神父が設計、棟梁は福江大工町の野原与吉氏で、後の教会堂建築の第一人者となる鉄川与助氏も、副棟梁格として参加したと言われています。煉瓦造平屋でゴシック風様式、落ち着きと安定感のある美しい外観を有し、五島各地の同型天主堂のモデルとなりました。屋根は、切妻造りで桟瓦葺きとなっており、内部は木造で、リブ・ヴォールト式と呼ばれる木造アーチ式天井、中央入り口上に設けた塔とポインテットアーチの窓は教会堂の特徴を示し、ステンドグラスは、静粛な雰囲気を醸し出しています。そこには日本における教会建築の発展過程や、西洋と東洋の建築文化が見事に融合した実に多様な展開と高い造形意匠の達成を随所に見ることができます。内部装飾には椿の模様を取り入れるなど地方的特徴もあり、当時の建築技術を物語る証しとして1974年4月9日長崎県指定有形文化財に指定され、2007年1月、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する教会の1つとしてユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まりました。文化庁の特別委員会は、“西洋の建築技術と日本の伝統的建築技術の融合がもたらした質の高い造形意匠をとどめている”と評価しています。

長崎におけるキリスト教の伝来と繁栄、激しい弾圧と250年もの潜伏、そして奇跡の復活、世界に類を見ない布教の歴史を物語る「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を、長崎県は信者の生活の一部であり祈りの場である教会を大切に守りながら、所有者や関係市町と一体となって、世界遺産への早期登録に向け取り組んでいます。

掲載日:2010年3月25日

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